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神戸地方裁判所 昭和59年(ワ)1506号 判決 1987年12月22日

原告

川島時子

ほか一名

被告

安居幸一

ほか二名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら(請求の趣旨)

1  被告安居幸一(以下「被告幸一」という。)、同安居典子(以下「被告典子」という。)は各自、原告らに対し、各金二二〇〇万円と右各金員に対する昭和五七年一〇月二六日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告日動火災海上保険株式会社(以下「被告会社」という。)は原告両名に対し、各金一〇〇〇万円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  被告幸一同典子

(一) 原告らの請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

2  被告会社

(一) 原告らの請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  原告ら(請求原因)

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和五七年一〇月二〇日午前一〇時ころ

(二) 場所 兵庫県三木市大村八七六番地先交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 加害車両 普通乗用自動車(神戸五八ち三九五一号。以下「加害車両」という。)

右運転者 被告幸一

(四) 被害車両 原付自転車(以下「被害単車」という。)

右運転者 亡川島伸美(以下「亡伸美」という。)

(五) 事故態様 右交差点を東から西に向け直進していた亡伸美運転の被害単車が同交差点を東から西に向け発進し南に向け左折した被告幸一運転の加害車両の左前部と衝突

2  責任原因

(一) 被告典子は加害車両の所有者であり、加害車両を自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき、本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

(二) 被告幸一は、本件交差点を左折するにあたり、左後方から進行してくる車両の有無を確認すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然左折した過失により本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

(三) 被告会社は、加害車両につき、被告典子との間で、被告典子を被保険者とし、限度額を金二〇〇〇万円とする自動車損害賠償責任保険契約を締結していたから、自賠法一六条一項に基づき、本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

3  亡伸美の受傷及び死亡

(一) 亡伸美は、本件事故により、右足根骨骨折、右前腕挫傷、胸部挫傷、右四・五・六肋軟骨骨折、腰椎椎間板障害、頭部外傷、外傷性頸部症候群、右膝足関節部挫傷、右膝関節部損傷血腫、肝・すい臓損傷の傷害を被り、昭和五七年一〇月一〇日から同月二六日まで神吉外科病院に入院したが、同日午前八時ころ、右傷害により死亡した。

(二) 亡伸美の既往疾患としては、同人を昭和五六年一一月から本件事故直前まで診察していた芦名医師の診断によれば、ネフローゼ(腎疾患)、軽度の糖尿病が存在し、血圧は、一四五/九〇(昭和五六年一一月二日)、一四八/九〇(同月一七日)、一四〇/九五(昭和五七年五月二四日。単位はいずれもmmHG。以下、血圧に関する記載については単位を省略する。)とやや高めではあつたものの、世界保健機構の基準では高血圧症とまではいえず、その素因が存在したにとどまる状態であつた。

(三) 亡伸美の死因は、神吉医師作成の死亡診断書(甲第三号証)によると、「直接死因 脳出血」、「その原因 ネフローゼ、糖尿病、高血圧症」とされているが、他方、同医師は捜査関係事項照会に対する回答書(甲第五号証)において、「本件事故による傷害及びストレスが亡伸美の既往疾患(ネフローゼ、糖尿病、高血圧)を悪化させ、血圧を急激に上昇せしめ、脳出血をひきおこした」旨所見を述べ、本件事故と亡伸美の死亡との因果関係を肯定している。

(四) 以上のとおり、亡伸美の死亡の直接死因は高血圧に基づく脳出血ではあるが、本件事故により同人は頭部・頸部に傷害を負い入院中終始頭・頸部痛を訴えるなど、同人が受けた傷害は重傷であつたから、本件事故及び右傷害は同人に重大なストレスを与え、そのため、同人は血圧異常を起こし、脳出血の発作を招いたものと考えられ、従つて、本件事故と亡伸美の脳出血による死亡との間には相当因果関係がある。

4  損害

(一) 亡伸美の慰謝料 金六〇〇万円

(二) 逸失利益 金四〇八三万七五四九円

亡伸美は川島興業の屋号で船舶装備・修理業を営んでいたものであるが、その営業帳簿の不備ないし逸失によりその収支を明確にしえない。そこで、賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計男子労働者四五ないし四七歳の平均給与額をもつてその基礎収入として同人の逸失利益を計算すると、次のとおり、金四〇八三万七五四九円となる。

就労可能年数 二二年(ライプニツツ係数 一三・一六三)

基礎年収 四七七万三〇〇〇円

生活費控除 三五パーセント

計算式 4773000×0.65×13,163=40837549

(三) 原告らの慰謝料 各金四五〇万円

(四) 葬儀費用 金八〇万円

原告川島時子(以下「原告時子」という。)は亡伸美の葬儀費用として金一〇〇万円をこえる金員の出費を余儀なくされたが、内金八〇万円を損害として主張する。

(五) 原告時子は亡伸美の妻、原告大石喜美江(以下「原告喜美江」という。)は同じく長女であるから、右(一)・(二)記載の損害金合計金四六八三万七五四九円を各二分の一の割合で相続した。

(六) 弁護士費用 各金二〇〇万円

5  結論

よつて、原告らは、各自、被告幸一に対し、民法七〇九条に基づき、被告典子に対し、自賠法三条に基づき、それぞれの右損害金の内金として、各金二二〇〇万円とこれに対する亡伸美死亡の日である昭和五七年一〇月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被告会社に対し、自賠法三条、一六条一項に基づき、右損害金のうち、保険金額の限度額である各金一〇〇〇万円の支払を求める。

二  被告幸一・同典子(請求原因に対する認否)

1  請求原因1、2(一)、(二)の各事実は認める。同3(一)の事実中、亡伸美の入院、死亡の事実は認め、その余の事実は否認する。

同3(二)ないし(四)の主張は争う。同4の事実は不知。

2  本件事故と亡伸美の死亡との間には因果関係は認められない。

本件事故により、亡伸美は右膝下に出血を伴う傷害を負つた以外、頭部打撲による意識障害はなかつたし、入院後も首・足首・肘・脇腹に自制可能な痛みがあつた程度で頭痛はなかつた。

亡伸美の直接死因は脳出血である。原告らは受傷のストレスが亡伸美の異常な血圧上昇をもたらし、脳出血をひきおこしたと主張するけれども、和歌山県立医科大学教授若杉長英の意見書(丙第五号証)によれば、ストレスによる血圧上昇は、通常の変動の範囲内(おおむね一〇ないし二〇mmHG程度)に限られ、かつ、右血圧上昇は一過性の上昇でたとえストレスが持続していたとしても、血圧自体はまもなく正常に戻るものであるから、事故によるストレスの作用により事故後五日目まで血圧上昇が続くはずがなく、従つて、本件事故と右脳出血との間に因果関係は認められない。

三  被告会社(請求原因に対する認否)

1  請求原因1、2(三)の各事実、同3の事実中、亡伸美の受傷及び死亡の事実は認める。同4の事実は不知。

2  本件事故と亡伸美の死亡との間には相当因果関係はない。

亡伸美は昭和五七年一〇月二五日午後二時四〇分ころ、突然意識が混濁し、同日午後四時二〇分ころ昏睡状態に陥り、同月二六日午前八時六分死亡したものであるところ、亡伸美の直接の死因は明らかに脳出血である。そして、本件事故は軽微な接触事故であり、その受傷の程度も軽微であつたこと、入院中の症状は右足・胸部・頸部の疼痛、頭痛、頸部の回転運動困難であり、吐気はなく意識も明瞭であつたこと、亡伸美には糖尿病、ネフローゼ、高血圧症ないしその傾向があつたこと、ストレスによる血圧の上昇は一過性のものであり、その変動の範囲も一〇ないし二〇mmHG程度のものであるから、交通事故によるストレスが原因となつて脳出血を起こすことは通常ありえないこと等の事実によれば、高血圧症ないしは動脈硬化症の原因により亡伸美は脳出血を起こしたものというべきであり、そこに本件事故の影響は認められないものというべきである。

四  被告幸一同典子(抗弁)

仮に、同被告らに損害賠償義務があるとしても、本件事故の態様は、被告幸一が左折の合図を出しながら車道中央に停止した後、ゆつくりと直進しつつ左折を開始し、約一二メートル進行したところで、後方から路側帯を走行してきた被害単車と接触したものであるところ、亡伸美には著しい前方不注視と通行区分違反の過失があるから、右過失(少なくとも三割を主張する。)は本件損害額の算定にあたつて斟酌されるべきである。

五  原告(抗弁に対する認否)

否認する。

第三証拠

本件記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(交通事故の発生)、同2(責任原因)の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  請求原因3の事実中、亡伸美が本件事故により受傷して神吉外科医院に入院し、入院中に脳出血により死亡したことは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実にいずれも成立に争いのない甲第二ないし第一一号証、乙第一ないし第五号証、丙第一号証の一ないし三、丙第二、第四号証の各一、二、丙第三号証、証人若杉長英の証言により真正に成立したものと認められる丙第五号証、証人芦名安人、同神吉英雄(但し、後記採用しない部分を除く。)、同若杉長英の各証言、被告安居幸一、原告川島時子各本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められ、証人神吉英雄の証言中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  昭和五七年一〇月二〇日午前一〇時ころ、亡伸美は被害単車を運転して時速約二〇キロメートルで進行中、時速約一五キロメートルの速度で左折進行中の加害車両左前サイドミラーにその右前腕部付近が接触する本件交通事故に遭遇し、被害単車もうとも約一〇メートル横倒しになりながら滑走して転倒した。

2  亡伸美は右足から出血しこれを少し引きずつていたとはいうものの、被告幸一が病院へ行くよう再三勧めるのに対し、「別状ない。とりあえず単車を直してくれたらよいから。」と近くのガソリンスタンドまで被害単車を自ら押していくなど比較的元気であつた。

3  同日午後二時ころ、亡伸美は神吉外科病院に独歩入院した。亡伸美の主訴は右足・胸部・頸部の疼痛と頭痛、損傷の主たるものは、右膝から右足にかけての打撲傷(右足根骨骨折・ガーゼ交換を要する外傷を伴う。)と前胸部正中のわずか右側の打撲傷(右第四、五、六肋軟骨骨折を伴う。)であり、意識は明瞭で頭部打撲は程度の強いものではなかつた。なお、入院時測定の血圧は一七〇/一〇〇であつた。亡伸美の症状は翌二一日頸部の回転運動困難を訴えたほかは著変なく推移した。

4  同月二五日午後二時ころ、亡伸美は病室のベツドに座つてコーヒーを飲みながら面会人と談笑中、突然手からコツプを落とし、頭が割れるように痛いと訴え頭を抱え、意識混濁状態となり、同日午後二時四〇分ころ、血圧は二九〇/(最低血圧は測定不能)となり午後四時二〇分ころには昏睡状態、血圧二六四/一〇〇となつて、瞳孔右散大、片麻ひ、けいれん(右手足において著明)が認められた。翌二六日午前八時六分亡伸美は昏睡状態から回復することなく死亡した。

5  亡伸美には既往症として軽度の糖尿病、高血圧症ないしはその傾向、腎疾患(ネフローゼ症候群。尿蛋白量が多い。コレステロール値が高い。)、冠不全があり、昭和五六年一一月二日から昭和五七年一〇月一三日まで芦名医院に通院して治療を受けていた。

三  右認定事実を前提に、本件事故と亡伸美の死亡との間の因果関係の有無について検討する。

1  まず、亡伸美の直接死因である脳出血の原因が、本件事故による外傷性のものでないことは、右因果関係を認める神吉医師も承認するところであり、本件事故の態様、受傷の程度、その後の経過に照らし疑いはない。

2  亡伸美の治療を担当した医師神吉英雄作成の診断書、審査関係事項照会に対する回答書(甲第三、第五号証。以下、同証人の証言を含めて「神吉所見」という。)によると、<1>ネフローゼ、糖尿病、高血圧症等の亡伸美の既往症が交通事故による傷害・ストレスにより悪化した<2>交通事故によるストレスが原因となつて血圧が上昇し脳出血が発生したと評価しうるから、本件事故と亡伸美の死亡との間に因果関係ありと認めるというのであるが、右<1>は神吉医師自身、本件事故による受傷・入院・ストレスにより既往症状が悪化したことは確認していない旨自認しているうえ、入院後、既往症状が悪化したものと認めるに足りる資料は全くないから、右<1>所見は同医師の憶測というほかなく採用できない。また、<2>については、神吉所見では、脳出血(最大血圧二九〇。昭和五七年一〇月二五日午後四〇分測定)をもつてストレスによる血圧上昇であるとするのであるが、証人若杉長英の証言並びに同人作成の意見書と題する書面(前記丙第五号証。以下「若杉所見」という。)によれば、確かにストレスにより血圧は上昇するが、それは一過性のものであり、かつその個体の通常の変動範囲の上昇にとどまるものであつて、亡伸美の場合、入院時の血圧《一七〇/一〇〇。なお、亡伸美の通常の血圧がどの程度のものであつたかは必ずしも明らかでないが、芦名医院の診療録(甲第六号証)によると、昭和五六年一一月二日、一四五/九〇、同月一七日、一四八/九〇、昭和五七年五月二四日、一四〇/九五となつている。》を基準にしてもストレスにより一〇〇以上もの血圧上昇があつたものと考えることはできないから、右脳出血発症後の血圧はむしろ脳出血による二次的障害としての血圧調整機能不全等による血圧上昇と考えるべきものであるとする。右若杉所見は合理的な見解と認められる。従つて、ストレスが右最大二九〇前後の血圧上昇をもたらしたとする神吉所見は採用できない。

3  そこで、神吉所見<2>を、交通事故による受傷に伴うトスレスが血圧上昇をもたらし、その血圧上昇(ただし、発作直後の異常な血圧上昇とは別の亡伸美の通常の血圧変動範囲内のそれ)が引き金となつて亡伸美の脳出血が発生したとする所見と解した場合にのみ、その検討を要するものというべきである。若杉所見によれば、ストレスにより副腎から分泌されるアドレナリンの末梢血管収縮作用により血圧が上昇することは通常生ずることではあるが、この反応は一過性のものであり、間もなく平常に復すること、苦痛はもとより喜びや悲しみによる興奮なども生体にとつてはストレスであり、通常、人はこのようなストレスに日常さらされ、これによりその個体の変動範囲内の血圧変動を繰り返しながら生活しているものであること、右のごとき血圧変動(上昇)が脳出血の引き金となることはあることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右ストレスによる血圧上昇が脳出血の引き金となりうることを前提に本件ついて検討するに、本件においては、一般論として、亡伸美が本件交通事故による受傷・入院に伴いなんらかのストレスを受けたであろうとはいいうるとしても、前認定の脳出血発作前に亡伸美がストレスを感じたか否か、そのストレスの程度、そのストレスが本件交通事故による受傷あるいは入院によるものであつたか否か等は全く明らかでなく、かえつて、前認定のとおり、脳出血発作直前の亡伸美の状態は面会人とコーヒーを飲みながら談笑していたというものであり、右時点を含め、本件交通事故後、亡伸美が事故による受傷・入院等をことさら気に病んでいた形跡は認められず、また、同人には既往症として高血圧症(なお、血清中のコレステロール値が高かつた。)が認められたというのである。以上の検討によれば、亡伸美の脳出血の原因としては、同人の既往症である高血圧症や動脈硬化症状が考えられ、本件交通事故に伴うストレスによる血圧上昇がその引き金になつた可能性は極めて低い旨の若杉所見は説得的であり、この見解を採用するのが相当であるから、亡伸美の事故に伴うストレスによる血圧上昇が引き金となつて右脳出血を起こした可能性が全くないと断言できるものではないけれども、逆に本件においてなんらかのストレスによる血圧上昇が脳出血の引き金となつたか否かすら明らかでなく、本件事故に伴うストレスと本件脳出血との間に相当因果関係を認めることはできないものというべきである。

四  そうすると、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉森研二)

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